ピラティスと哲学と物理学

ピラティスを10年以上伝えてきて
セッション30,000時間も今年から来年にかけて超えるのですが
これしか仕事をしていないので
別に大きな数字ではありません

ピラティスを哲学的に考えてきた一方で
もう一つの捉え方があると思います
それは『物理学』です

これは私のまだまだ経験が足らない
私の修行の過程での考えです

哲学的に捉える
セッションのときに、クライアントの動き、動きのパターン、動きを生む思考の「本質」を洞察することで、
どの部分にアプローチするのか、目の前の動きの問題を解き明かすための「考え方」を洞察す
それは一度ではなく、60分の時間にフル回転で何回と繰り返すのです

いかに洞察するのか

そのときに使われるのは物理学
ピラティスって物理学なんだなぁと感じるのです

物理学的に裏付け説明するときに解剖生理学も必要となります

そう行ったバックヤードも考慮してセッションもするのですが
予測にも物理学かなあと感じるし
そういう思考を巡らすことがもはや哲学的です

クライアントの人生、存在、認識にピラティスで関わっていく

最終的、結果的に『観測』、動きのスキャンを通じて

人の認識、体の問題に物理学で還元、つまり元の状態、本来の状態にしていくことを考えると

この作業一連がもはや哲学だと思うのです

こういう話は、同じインストラクターならあるあるの声が聞けるかもしれません

そして、これはあくまでも私の今の段階での経験上の考えで
もしかしたら変わるかもしれません
そのときには、いやいや間違った〜と平気で言いますので
その際には、よろしくお願いします

国語より算数が好きな私には、考え始めると眠れなくなります
半世紀を軽く生きてきましたが
国語ができないということは、やはり頭が悪いということだとつくづく痛感する場面に幾度と出くわしてきました

勉強は大切ですね
まだ間に合うかもしれません

生涯現役
一生勉強
多々休みあり